起草
学術監修(進行中)
正式公開

本資料は起草版(Web先行公開)です。学術統轄の監修を経て正式版となります。

01

なぜ非常持出袋に「口腔ケア用品」なのか

水や食料の次に見落とされがちなのが、お口のケア用品です。実は、災害後の命に直結します。

地震や水害で助かった命が、避難生活の中で失われることがあります。これを「災害関連死」と呼びます。阪神・淡路大震災(1995年)では、建物倒壊などによる直接死6,434人に対し、関連死は後の認定を含めて1,840人以上にのぼりました。そのうち約24%が肺炎など呼吸器系の病気によるもので、関連死の9割が60歳以上、8割が発災後2ヶ月以内に集中していました。

災害後に増える肺炎の多くは「誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)」と考えられています。お口の中の細菌が、唾液や食べ物と一緒に誤って気管に入り、肺で炎症を起こす病気です。高齢者の肺炎の8割以上がこの誤嚥性肺炎で、誤嚥性肺炎は日本人の死因第6位(厚生労働省・令和2年人口動態統計)です。断水で歯磨きができない、水を控えて口が乾く、避難疲れで体力が落ちる——災害時はこの病気が起きる条件がそろってしまいます。実際、東日本大震災(2011年)の被災地では肺炎の発生が通常時の約3倍になり、石巻市の関連死の26.9%が肺炎でした。

39%

専門的な口腔ケアを2年間続けた高齢者施設では、肺炎の発症率が39%、肺炎による死亡率は53%低下しました。口腔ケアが肺炎の予防に役立つことを示す代表的な研究結果です。

Yoneyama et al., The Lancet, 1999

この資料でできること

歯垢(プラーク)1mgには約1億個の細菌がいます。断水中でもお口を清潔に保つ準備は、家庭で今日からできます。この資料では「何を・いくつ・どこに」備え、「どう使うか」まで具体的にご案内します。

02

基本の備蓄リスト:1人3日分の品目と数量

政府は最低3日分、できれば1週間分の備蓄を推奨しています。口腔ケア用品も同じ考え方で揃えましょう。

首相官邸の防災啓発では、食料・飲料水は最低3日分(大規模災害では1週間分が望ましい)、飲料水は1人1日3リットルが目安とされています。口腔ケア用品はかさばらず軽いので、まず「非常持出袋に3日分」、余裕があれば「自宅備蓄に1週間分」の二段構えがおすすめです。以下は1人3日分の基本セットです。

品目1人3日分の数量選び方の基準
歯ブラシ1本(+自宅備蓄に予備1本)ヘッドが小さめ・毛のかたさ「ふつう」か「やわらかめ」。キャップ付きなら衛生的
口腔ケア用ウェットシート(歯みがきシート)9枚以上(1日3回×3日)指に巻いて使うタイプ。ノンアルコール・無香料が家族全員で使いやすい
洗口液(マウスウォッシュ)または液体ハミガキ携帯サイズ1本(約100ml)1回の使用量は製品表示(多くは10〜20ml)に従う。ノンアルコールタイプは刺激が少なく子ども・高齢者向き
口腔保湿ジェル(保湿剤)小容量チューブ1本口の乾燥(ドライマウス)対策。高齢者がいる家庭は必須級
デンタルフロス・歯間ブラシ3日分(フロスは1巻でOK)普段使っているサイズと同じものを
紙コップ・小型のコップ1個すすぎ用の水30mlを量る目安になる。目盛り付きなら便利
ティッシュ・ガーゼ適量歯ブラシの汚れの拭き取り、歯の清拭の代用に

液体製品は「消費期限」に注意

洗口液・液体ハミガキには使用期限の表示がない製品が多いですが、これは「未開封・常温保管で製造から3年間は品質が保たれる」設計だからです(花王・ライオン・サンスター各社Q&A)。備蓄品は購入日をマジックで本体に書き、未開封でも3年以内、開封後は半年〜1年以内を目安に入れ替えましょう。色やにおいに異常があれば使わないでください。

水の割り当ての目安(口腔ケア分)

  • 歯磨き後のすすぎ用:1回約30ml × 1日3回 × 3日 = 1人約270ml(余裕をみて300ml)500mlペットボトル1本を「口腔ケア専用」と決めて持出袋へ
  • 義歯(入れ歯)の洗浄・保管用:別途1日コップ1杯ほど(約200ml)を目安に義歯使用者がいる家庭のみ
  • 飲料・調理用の1人1日3Lとは別枠で考える口腔ケア用は少量なので、専用ボトルを分けておくと迷いません
03

家族構成別カスタマイズ

基本セットに、家族それぞれの事情に合わせた「追加の一品」を足します。

対象追加する品目ポイント
乳幼児(0〜5歳)ガーゼまたは乳幼児用口腔ケアシート、仕上げ磨き用歯ブラシ歯が生える前は湿らせたガーゼで歯ぐきを拭くだけで十分。洗口液は誤飲の恐れがあるため使わない
学童(6〜12歳)子ども用歯ブラシ、フッ化物(フッ素)配合歯磨き粉の携帯サイズ自分で磨ける年齢でも災害時は不安で手が止まりがち。親が声かけ・仕上げ確認を
成人基本セットのまま仕事先・車にも歯ブラシとシートを1セットずつ分散配備すると安心
高齢者口腔保湿ジェル(多めに)、スポンジブラシ、とろみ剤唾液が減り誤嚥リスクが最も高い層。食後のケアと保湿を最優先に
義歯(入れ歯)使用者義歯ケース、義歯用ブラシ、義歯洗浄剤(1日1錠×日数分)、義歯安定剤就寝時は外してケースの水中で保管。ティッシュに包むと誤って捨てられる事故が多発
矯正治療中歯間ブラシ(装置まわり用)、矯正用ワックス、ワイヤーが外れた時用の予備ゴム類装置が粘膜に当たって痛む時はワックスで保護。かかりつけ矯正歯科の連絡先をメモしておく

お薬手帳と一緒に「お口の情報メモ」を

「義歯を使用」「矯正装置あり」「かかりつけ歯科医院名と電話番号」「治療中の歯」を1枚のメモにして、お薬手帳と一緒に持出袋へ。避難先で歯科支援チームの診察を受けるとき、正確に伝えられます。

04

水が少ない時の口腔ケア実践手順

コップ1杯の3分の1、約30mlの水があれば歯磨きはできます。手順を覚えておきましょう。

  1. 手順1:約30mlの水をコップに用意する

    紙コップに指1本分ほどの深さが目安です。この水は「すすぎ用」なので、最初に全部使わないのがコツです。

  2. 手順2:歯ブラシを水で軽く濡らして磨く

    水が乏しい時は、練り歯磨き粉は使わないほうがすすぎの水を節約できます。歯と歯ぐきの境目、奥歯のかみ合わせ面を中心に、1本ずつ小刻みに磨きます。

  3. 手順3:合間に歯ブラシの汚れをティッシュで拭き取る

    磨いている途中でこまめにブラシの汚れをティッシュやガーゼで拭き取ると、少ない水でも汚れを口に戻さずに済みます。

  4. 手順4:残りの水を2〜3回に分けて口に含み、すすぐ

    一度に全部の水を使わず、少量ずつ2〜3回に分けて口に含み、頬を動かしてブクブクしてから吐き出す、を繰り返します。

歯ブラシがない場合は、ハンカチやティッシュ、ウェットシートを指に巻き、歯の表面を前歯から奥歯へ順にこすって歯垢を拭き取ります。洗口液や液体ハミガキを併用すると汚れが落ちやすくなります。口腔ケアシートは1回1枚、面を替えながら「歯の表→裏→かみ合わせ→歯ぐき・頬の内側」の順で拭くと効率的です。

  1. 唾液腺マッサージ①:耳下腺(じかせん)

    耳たぶの少し前、上の奥歯のあたりに指4本を当て、後ろから前へ円を描くように5〜10回程度を目安に、優しく回します。唾液には細菌を洗い流す自浄作用があり、口の乾燥対策に有効です。

  2. 唾液腺マッサージ②:顎下腺(がっかせん)

    あごの骨の内側のやわらかい部分に親指を当て、耳の下からあごの先まで5か所ほどを順に5〜10回程度を目安に、軽く押します。

  3. 唾液腺マッサージ③:舌下腺(ぜっかせん)

    あごの先の真下に両手の親指をそろえて当て、舌を突き上げるようにゆっくり5〜10回程度を目安に押します。食事の前に行うと、飲み込みやすさにもつながります。

水分を我慢しないでください

「トイレに行きたくないから」と水分を控えると、口が乾いて細菌が増えるだけでなく、脱水やエコノミークラス症候群(血の固まりが血管に詰まる病気)のリスクも高まります。飲む水と、お口をきれいにする水は、削らないでください。

05

ローリングストックと年2回の点検

「しまい込んで期限切れ」を防ぐ仕組みが、ローリングストックと点検日の固定です。

ローリングストックとは、普段使う物を少し多めに買い置きし、使った分だけ買い足していく備蓄方法です(政府広報オンライン推奨)。口腔ケア用品は日用品なので、この方法と相性が抜群です。「洗面所の在庫が最後の1個になったら買い足す」をルールにすれば、家に常に新しい予備がある状態を保てます。

  1. 点検日を年2回、カレンダーに固定する

    おすすめは9月1日(防災の日)と3月11日。家族の記憶に残りやすく、防災報道が多い時期なので意識も高まります。スマホのリマインダーに毎年繰り返しで登録しましょう。

  2. 点検①:期限と状態の確認

    洗口液・保湿ジェル・義歯洗浄剤の購入日表示を確認し、未開封3年・開封後半年〜1年を過ぎたものは普段使いに回して新品と交換。歯ブラシは毛先の開きがなくても年1回は交換します。

  3. 点検②:家族構成の変化を反映

    子どもの歯ブラシのサイズアップ、矯正治療の開始・終了、義歯の使用開始など、この1年の変化をリストに反映します。

  4. 点検③:置き場所の再確認

    非常持出袋(玄関)、自宅備蓄(洗面所や納戸)、車・職場の分散分がそれぞれ揃っているか、家族全員が場所を言えるかを確認します。

点検日にやることチェック

  • 液体製品の購入日と状態(色・におい)を確認した
  • 期限が近い物は普段使いに回し、新品を補充した
  • 家族の年齢・治療状況の変化をリストに反映した
  • 持出袋・自宅・車の3か所の中身を照合した
  • 次回の点検日をリマインダーに登録した
06

避難所に着いたら最初にすること

避難初日の行動が、その後の体調を左右します。お口に関する初動を決めておきましょう。

避難初日のお口の初動チェック

  • 給水場所と、うがい・歯磨きをしてよい場所(排水場所)を確認する避難所運営側の案内に従います
  • 口腔ケア用品の配布があるか、運営本部・救護班に聞く支援物資に歯ブラシが含まれることは多いですが、届くまで数日かかる場合があります
  • 義歯を失くした・壊れた場合は、我慢せず救護班に申し出る食べられないことは体力低下に直結します。応急対応や歯科支援チームへの取り次ぎが受けられます
  • 「食べたら拭く・磨く」を家族のルールにする水がなくてもシートやマッサージでできることがあります
  • 1日1回は時間をかけて、ていねいに磨く時間を確保する毎回完璧でなくても、1日1回の徹底で細菌の増加を抑えられます

避難所には歯科の支援が入ります。2004年の中越地震では、発災5日目から25日間・延べ115か所の避難所を巡回し、のべ1,226名が口腔ケアを受けました。2016年の熊本地震・南阿蘇地区では、約1ヶ月半で927人が歯科的アセスメント(お口の状態の確認)を受け、応急歯科治療46人・口腔ケア252人・保健指導242人の支援が行われています。2022年にはJDAT(日本災害歯科支援チーム)が創設され、2024年の能登半島地震では計127チームが派遣されました。「避難所で歯科に相談するのは大げさ」ではありません。遠慮なく声をかけてください。

特に気を配りたい人

高齢のご家族、飲み込む力が弱い方、要介護の方は、誤嚥性肺炎のリスクが最も高いグループです。本人任せにせず、家族が1日1回「お口を見せて」と声をかけ、食後のケアと保湿を手伝ってください。熊本地震(2016年)では直接死50人に対し関連死は約220人と4.4倍、能登半島地震(2024年)でも直接死229人を関連死(261人超・2024年12月時点)が上回りました。避難生活の健康管理そのものが、命を守る行動です。

07

今すぐ確認:10項目チェック表

この資料を閉じる前に、1分でできる現状チェックです。7個以上チェックがつけば合格ラインです。

わが家のお口の防災 10項目

  • 1. 非常持出袋に家族全員分の歯ブラシが入っている
  • 2. 口腔ケアシート(歯みがきシート)を1人9枚以上備えている
  • 3. 携帯サイズの洗口液または液体ハミガキがある
  • 4. 口腔ケア専用の水(500mlペットボトル1本など)を分けて備えている
  • 5. 高齢の家族の分に、口腔保湿ジェルを備えている(該当者がいる場合)
  • 6. 義歯ケースと義歯洗浄剤を備えている(該当者がいる場合)
  • 7. 液体製品に購入日を書いてある
  • 8. 年2回の点検日(9/1・3/11など)をリマインダーに登録している
  • 9. かかりつけ歯科医院の名前と連絡先を家族が言える・メモしてある
  • 10. 「30mlの水での歯磨き」と「唾液腺マッサージ」のやり方を家族に説明できる

チェックが6個以下だった方へ

まずは項目1〜3だけで大丈夫です。歯ブラシ・シート・携帯洗口液の3点は、ドラッグストアで数百円から揃い、今日の買い物で完了します。完璧を目指すより、今週中に「3点セット」を持出袋に入れることから始めてください。

08

お口の防災プロジェクトについて

この資料は、一般社団法人日本オーラルヘルス協会「お口の防災プロジェクト」が作成しました。

私たちは、災害時の口腔ケアで誤嚥性肺炎などによる災害関連死を防ぐことをミッションに、家庭・自治体・企業・施設向けの啓発資料の提供、備蓄品の選定支援、防災訓練での口腔ケア講習などを行っています。

こんなご相談を受け付けています

  • 町内会・自主防災組織での口腔ケア講習会の開催
  • 高齢のご家族がいる家庭の備蓄品選びの個別相談
  • 学校・PTA向けの防災教育教材の提供

ご相談・お問い合わせ

備蓄品の選び方や講習会のご依頼は、お問い合わせページ(/contact)からお気軽にご連絡ください。この資料の印刷・回覧・防災訓練での配布も歓迎します。

出典・参考資料

  1. 阪神・淡路大震災の災害関連死(肺炎等呼吸器系 約24%)神戸新聞(2004年)
  2. 東日本大震災・石巻市の関連死26.9%が肺炎、肺炎発生が通常時の約3倍復興庁「東日本大震災における震災関連死に関する報告」・石巻市関連死調査
  3. 専門的口腔ケアで肺炎発症率39%低下・肺炎死亡率53%低下Yoneyama T, et al. Oral care and pneumonia. The Lancet. 1999
  4. 誤嚥性肺炎は日本人の死因第6位厚生労働省 令和2年(2020年)人口動態統計
  5. 高齢者の肺炎の8割以上が誤嚥性肺炎日本呼吸器学会
  6. 熊本地震・南阿蘇地区の歯科支援実績(アセスメント927人ほか)日本災害時公衆衛生歯科研究会 座談会報告書
  7. 中越地震の避難所巡回口腔ケア(発災5日目から25日間・115か所・のべ1,226名)厚生労働科学研究 中久木班報告集
  8. JDAT創設(2022年)・能登半島地震で計127チーム派遣日本歯科医師会 災害歯科保健医療対策 https://www.jda.or.jp/dentist/disaster/
  9. 災害時の歯とお口のケア(備えておくこと・自分でできること)日本歯科医師会 テーマパーク8020 https://www.jda.or.jp/park/
  10. 少ない水(約30ml)での歯磨き手順・少量ずつ2〜3回に分けたすすぎ・ハンカチでの清拭新潟県「災害時の口腔ケアについて」 https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/kenko/disaster-oral-care.html
  11. 災害時の口腔ケア・歯科治療Q&A(歯ブラシがない場合の代用・洗口液の併用)日本口腔ケア学会 https://www.oralcare-jp.org/saigai_qa/
  12. 食料・飲料水は最低3日分(推奨1週間分)・飲料水1人1日3L首相官邸「災害が起きる前にできること」 https://www.kantei.go.jp/jp/headline/bousai/sonae.html
  13. ローリングストックの始め方政府広報オンライン https://www.gov-online.go.jp/article/202103/entry-10236.html
  14. 液体ハミガキ・洗口液の使用期限(未開封で製造から約3年が目安)花王 製品Q&A https://www.kao.com/jp/qa/detail/16502/
  15. ハミガキ剤・洗口剤の使用期限の考え方ライオン よくいただくご質問 https://qa.lion.co.jp/faq/show/321
  16. 唾液腺マッサージ(耳下腺・顎下腺・舌下腺)の方法ピジョンタヒラ「機能的口腔ケア(唾液腺マッサージ・嚥下体操など)」 https://www.pigeontahira.co.jp/column/dentistry032/
  17. 液体ハミガキ・洗口液の使用期限(未開封3年設計)サンスター 製品Q&A https://jp.sunstar.com/inquiry/qa-mouth-wash/qa_003.html

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